【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

千葉ロッテマリーンズに所属し、打者として活躍されている藤原恭大選手。

今回は藤原恭大さんの、家族構成について詳しく見ていきましょう。

ぜひ最後までご覧ください。

目次

藤原恭大の家族構成(出身)

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

大阪府豊中市出身の藤原恭大さんは、4人家族です。

  • 父親
  • 母親
  • ご本人

それではご家族について、お1人ずつ詳しく紹介していきます!

【ロッテ】藤原恭大の父親の職業は焼き鳥屋?

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

藤原恭大さんの父親の名前は藤原史成(ふじわら ふみあき)さんで、会社経営をしています。

お父様について紹介します。

①父親は焼き鳥屋を経営していた

お父様は、会社経営をされていますが、以前は大阪府豊中市で焼き鳥屋を経営していました。

機械プラントの会社を経営しつつ、“副業”として焼き鳥屋を大阪府豊中市で営んでいた。

/引用元:デイリー新潮

開店当初は「炉羽庵(ろうあん)」として営業し、その後『花火』という名前に変え営業をされていました。

ファンの方に愛される地元の居酒屋として人気を集めていましたが、2024年3月に閉店しています。

②父親は元高校野球児で少年野球の監督

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

藤原選手のお父様も、元高校野球児

現在、大阪府豊中市内で建設業を営む父・史成さんは元高校球児。

/引用元:日刊現代

お父様は、藤原選手が所属した野球チームの監督を務めていました。

野球との出会いは小学1年。大阪府豊中市内で焼き鳥店を経営する父の史成さん(43)が監督を務める軟式野球チーム「園和北フレンズ」で、白球を追い始めた。

/引用元:産経新聞

お父様は、厳しくも温かい指導で、親子二人三脚で野球の練習に励んだそうですよ。

甘やかさなかった。「僕は褒めたことはありません。中学で打率7割ぐらいを打った時も。まだできる、と言い続けました」。家の外でバドミントンの羽根を投げ、藤原が打つ。サポートも惜しまず、親子でレベルアップを目指してきた。

/引用元:デイリー

藤原恭大の母親について(職業)

藤原恭大さんの母親の名前は藤原道子(みちこ)さん専業主婦です。

お母様について紹介します。

①母親の画像・年齢

藤原選手のお母様は、2025年時点で49歳前後です。

里崎氏は「ロッテ藤原のお母さんが、俺と同い年 44歳!」と現役選手の親世代に足を踏み入れていることを報告。

/引用元:デイリー

お母様は24歳前後で藤原選手を出産されたんですね

藤原選手のお母様は、テレビ出演経験があり、背が高く大変美人な方だったため、話題を呼びました。

ご本人からの発信は在りませんが、元モデルだったと言われているんですよ。

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

お母様は専業主婦として、藤原選手はじめ、お兄様の野球生活を支えました。

母・道子さんは専業主婦。

/引用元:日刊現代

②優しい母親

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

藤原選手にとって、とても優しいお母様だったそうで、怒られた記憶はほぼ無いんだとか!

すごく優しかったので、怒られた記憶はあんまりないですね。

/引用元:日刊スポーツ

お母様は、藤原選手が野球に集中する環境を整える為、身の回りのお世話を全てされていたそうですよ。

身の回りのお世話を全部してくれました。洗濯とか朝起きたら全部並べられてて、着るだけ、脱ぐだけ、みたいな感じでした。

/引用元:日刊スポーツ

お母様からの愛が伝わってきますよね♪

③母と息子のエピソード

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

藤原選手が高校時代、お母様は、藤原選手の怪我や悩みにいつも寄り添い、精神的な支えとなってきました。

特に高校時代、藤原選手が大怪我をした際、積極的にサポートしていたエピソードが知られています

厳しくも、藤原が高2の秋に右膝を負傷した際、ケガで焦る息子を病院の送り迎えの道中で励ましたという。

/引用元:日刊現代

高校時代には寮生活が終わった後、毎日早朝から送迎されて野球生活を支えられたそうです。

1番の思い出は、高校の寮生活終わって、送り迎えしてくれたことです。朝は7時くらいに出て1時間弱ぐらいかけて車で送り迎えしてくれました。
/引用元:日刊スポーツ

お母様は、プロ入りした後も、藤原選手を支え続けています!

試合の日は必ず連絡をし、大阪で試合がある際は、必ず観戦に来てくれるそうですよ。

試合の日は必ず連絡をくれて、大阪で試合があるときは見に来てくれます
/引用元:日刊スポーツ

試合が無くても、お母様と藤原選手はほぼ毎日連絡を取り合っているそうです。

毎日のようにLINEをして2軍の試合を見た感想を伝えています。割と早く返事が来ます(笑い)

/引用元:スポーツ報知

藤原選手とお母様の、素敵な関係性が伝わりますね。

藤原恭大の兄弟について

藤原恭大さんは2歳年上のお兄様、藤原海成(かいせい)さんと、2人兄弟です。

【画像】藤原恭大の家族構成|母親は超美人でモデルだった?!兄との絆に涙

お兄様について紹介します。

①野球を始めるきっかけとなった兄

お兄様は、藤原選手が野球を始めたきっかけとなった存在です。

野球を始めたきっかけ:兄が始めたのがきっかけ

/引用元:千葉ロッテマリーンズ公式HP

幼いころから兄弟2人で、甲子園出場を目標に練習の日々を送ってきたそうです。

「いつか一緒に甲子園に行こう」。小学生のころから、父・史成(ふみあき)さん(41)の軟式野球チームで野球を始めた2歳違いの兄弟は、甲子園出場を目標に練習を重ねてきた。

/引用元:経済WEST

今の藤原選手があるのは、まさにお兄様のお陰なんですね!

②兄も名門チームでプレーしていた

お兄様も、野球名門校「PL学園」野球部の最後の部員の一人として活躍し、甲子園を目指していました。

中学卒業後に海成さんが選んだのは名門のPL学園高校1年のときに大阪大会で準優勝し「ここなら夢の舞台に立てる」と思って弟を誘った直後、新規の部員の募集停止が突然発表された。

/引用元:経済WEST

お兄様は、残念ながらPL学園在学中に野球部廃部が決定し、甲子園出場の夢を叶えることができませんでした

野球部は試合ができるギリギリにまで人数が減り、後に事実上の廃部が決定する。

/引用元:経済WEST

③兄弟2人の夢甲子園出場

藤原選手は、お兄様に甲子園の景色を見せたいという一心で、大阪桐蔭野球部への進学を決意されたんですよ。

「兄に甲子園の景色を見せたい」と、強豪校の大阪桐蔭に進学
/引用元:経済WEST

藤原恭大選手がお兄様の夢を引き継ぎ、「代わりに甲子園春夏連覇を果たす」という形で兄弟の絆を体現しました。

お兄様は高校卒業後、大阪経済法科大学に進学し、大学野球でもプレーされました。

まとめ

いかがでしたか。

今回は、ロッテ藤原恭大選手の家族構成についてまとめました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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